『ライスショップさかざき』の歴史 その壱

 当店は店主の僕(暢英40代)が三代目です。
初代の僕の祖父鉄蔵(今は亡くなってます)は、若かりし頃、大阪の米問屋に丁稚奉公していたそうです。何歳から何歳まで丁稚奉公をしていたとか、細かい話は二代目の僕の父健八郎(70代)に聞いても、あまりよく分かりません。


二代目の父を初め、親族にも詳しい経緯を知る人がいないようなので、大雑把な流れしか僕には分かりませんが、一代目は米穀の配給所の仕事に着いていて、その流れで米屋を始めたようです。

戦争中は何度か空襲があり、祖母が小さかった父や父の妹達を連れて逃げた話をよく聞きました。その話には祖父が出てこないので、祖父は戦争に行っていたようです。この頃は住んでる家を空襲で焼かれる度に、引越しをしていたようです。親類の家にも厄介になったとかどうとか。当然まだ米屋はやっていなかったと思います。

なので初代鉄蔵が米屋を始めたのは戦後の事だと思います。「創業はいつ?」と父に聞いても、やはりはっきりとは覚えていないようです。

祖父が米屋を始めた地は、塩浜です。塩浜店は今も細々とですが営業をしています。僕が生まれたのもその店です。二代目の父が坂部が丘に店を出すために、祖父母を塩浜店に残して引っ越すまで僕もそこに住んでいました。坂部が丘に引っ越してきたのは僕が5歳ぐらいの頃でした。

当時四日市公害が大きな問題になっていて、塩浜店の周辺のお客さんが段々と公害の少ない山側の団地へ引っ越されていっていたようです。「このままだと塩浜地区からお客さんがいなくなってしまう」と思ったのかどうか、父もお客さんを追いかけ(?)造成が始まったばかりの坂部団地(坂部が丘)へ店を開いたのでした。     


・・・その弐へ続く・・・
  





















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